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事故の事例(野球)
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jump!  事故日までの気象状況
jump!  事故に至る経過
jump!  練習内容及びHの行動
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高校野球部の練習中、部員が脱水を起因とする
急性心不全で死亡した事故
 事故発生年月日
 1988(昭和63)年10月26日
 
 事故者の経歴等
 I県T市にあるN高校の一学年に所属するH(16歳、男性)。

 幼稚園から小学校低学年では、スイミングスクールやサッカークラブに入って練習し、小学校四年生頃から少年野球チームにも所属して、投手で4番打者として活躍。また、中学入学と同時に野球部に入り、3年間続けてチームの主力して活躍していた。
 そこで、高校でも野球を続け甲子園に行きたいという夢を抱き、野球の強豪校であるN高校のスポーツ推薦として入学試験を受け合格し、入学時より同校野球部に入部した。

 体格的には身長175.3cm、体重81.5kg、胸囲98cmで学年の中でも上位にあり、野球では投手として相当な練習や試合を行ってきており、体力的に問題がある兆候は伺われず、また、4月に行われた健康診断の心電図検査でも問題は無かった。

 Hは風邪や麻疹などの軽い病気をしただけで、非常に健康で、中学校では三年間のうち二日欠席しただけであり、夏期の苦しい練習も乗り越えてきている。
 
 事故発生場所及び状況
 学校より約20キロメートル離れたところにあるD寮に隣接している野球場。

 水分補給の状況について
 当時、部員らはダックアウトにある水道から水を飲むことは可能であったものの、グラウンド練習あるいはサーキット・トレーニングの途中に一人抜け出して水を飲む余裕は非常に少なく、監督やコーチの前では部員は心理的にもためらう状況であった。
 6月5日、9月4日に脱水症状で部員が倒れることがあったが、その対策は講じられていなかった。
 
 事故当時の気象状況
   I県M市  I県T市
日時 天気
概況
気温
湿度
風向
16方位
風速
m/s
日射
0.1h
雲量
10分比
気温
風向
16方位
風速
m/s
日射
0.1h
10/26 03:00 快晴 9.2 89 NNE 1.4   00 10.7 WNW 1  
04:00               9.5 W 1  
05:00               9.1 WNW 1  
06:00   7.5   NNE 1.4 -   8.8 WNW 1  
07:00            0.7   8.8 W 1 0.4
08:00           1.0   12.6 - 0 1.0
09:00 快晴 14.3 73 N 1.6 1.0 00+ 15.6 E 1 1.0
10:00           1.0   16.7 ENE 2 1.0
11:00           1.0   17.7 ENE 1 1.0
12:00   19.3   NE 1.8 1.0   18.7 ENE 1 1.0
13:00           1.0   19.7 SSW 1 1.0
14:00           0.9   19.6 SSE 1 1.0
15:00 快晴 17.5 59 SE 2.5 1.0 00+ 19.1 - 0 1.0
16:00           0.8   17.7 E 2 1.0
17:00           0.1   16.7 ENE 2 1.0
18:00   15.2   ESE 1.2     15.3 NE 2 0.1
19:00               15.0 NE 1  
20:00               15.1 NE 2  
21:00 快晴 10.3 93 NNE 0.8   00 14.4 NE 1  
平均         1.4     14.2   1.1  
最高
(大)
  19.5   SE 3.1     19.7 W 2  
最低
(小)
  7.2 44          8.8      
 
 事故日までの気象状況
天気概況
06-18時
天気概況
18-06時
気温

平均
気温

最高
気温

最低
湿度

平均
湿度

最小
風向
16方位
風速
m/s
平均
風速
m/s
最大
 I県M市
10/11 曇一時雨 16.6 21.2 10.7 74 42 SE 1.5 3.4
10/12 曇一時雨 曇後晴一時霧 16.9 21.6 14.4 86 67 WSW 1.1 3.6
10/13 快晴 13.3 17.8 7.3 61 34 NNW 2.5 6.7
10/14 快晴 13.3 22.0 4.1 62 27 SW 1.5 3.2
10/15 晴一時曇 13.9 21.9 8.2 74 37 SSW 1.3 3.0
10/16 15.5 22.8 9.3 68 40 SSE 1.5 3.2
10/17 雨一時曇 雨後曇 14.4 16.3 11.1 94 84 E 1.2 2.3
10/18 雨後曇 15.8 15.0 14. 95 85 NNW 1.2 2.5
10/19 14.7 19.8 10.2 55 33 N 3.4 7.6
10/20 12.1 19.0 5.2 73 34 SSW 1.3 3.2
10/21 曇一時晴 14.9 20.2 9.9 81 58 SW 1.1 2.6
10/22 晴一時曇 16.2 22.9 11.1 75 43 N 1.4 3.1
10/23 晴後曇 13.6 20.7 8.2 57 28 WNW 1.2 2.8
10/24 11.8 16.9 6.1 75 37 E 1.1 3.0
10/25 曇一時雨 晴一時雨 13.6 18.2 10.0 77 56 NE 2.8 6.7
10/26 快晴 快晴 12.7 19.5 7.2 79 44 SE 1.4 3.1
  
 事故に至る経過
 N高校野球部は、昭和63年の夏の大会後、三年生が抜けて、1、2年生を中心とした練習が行われており、三年生は自主参加で、練習の補助や自主的な練習をしていた。 また、昭和63年の試合においての成績はおもわしくなく、チームは建て直しを迫られていた。

 同年10月当時の練習方法は、部員を3つの班に分け、第一班はチームの主力メンバーを集めたもの、第二班は主力に準ずる者、第三班は体力が少し劣る者、となっており、各班員は22か23名で、各班に数名、三年生が練習補助者として付いていた。

 練習内容は3種類あり、(1)ウェイト・トレーニング、(2)サーキット・トレーニング、(3)グラウンド練習となっており、これを一日交代で行っていた。ウェイト・トレーニングは学校の体育館で行い、サーキット・トレーニングとグラウンド練習は、D寮に隣接する陸上競技場および野球グラウンドで行われていた。

 サーキット・トレーニングは主に野球グラウンドの外周にある土手において行われた。詳細は以下のとおり。
 サーキット・トレーニング内容
1. 亀の子歩き(15m)
両手で両足首をつかんで歩く運動
2. 丸太ジャンプ(約20回)
両足を揃えて丸太の横飛び越えを左右に繰り返す運動
3. スクワット(約10回)
バーベルを両肩に担いで立ち上がり、足の屈伸を繰り返す運動
4. 懸垂(20回)
鉄棒の懸垂運動
5. レッグ・レイズ(5回)
鉄棒にぶら下がって足を持ちあげる屈伸運動
6. 片足歩き(50m)
7. 腕立て伏せと両足の屈伸運動を素早く繰り返す運動
8. 片足歩き(50m)
6.とは反対側の足を使って
9. 腕立て押し車(20m)
2人組みで行う
10. 兎跳び(約15〜20m)
11. 腹筋、背筋運動(各10回)
12. ダッシュ(40〜50m)
13. ワンツーダウン(10回)
左右のジャンプと屈伸運動
1コース(1.〜13.)に約30分かけて、これを2回行う
  ポール・ダッシュ(1往復を4本)
野球場の外周土手で、左翼線と右翼線にあるポールの間約200mを全力で、部員同士が約20mの間隔を保ちつつ、一方のポール付近から、他方のポール付近へ走り、全員の到着を待って反転し、元のポールへ向けて走る
これを、約20分かけて行う

 野球部の部員97名は、全寮制のため、全てD寮にて合宿をしていた。この寮には、コーチのZも部員とともに生活をしており、監督のSも合宿することがあった。
 午前6時30分に起床し、全員の点呼を行い、朝食の後、午前7時40分ごろ通学バスで登校する、授業終了後、練習となる。
 練習時間について
平日
月〜金
学校の授業終了後、ウェイト・トレーニングを行う班はそのまま学校に残利、他の2つの班は、午後4時過ぎ頃、通学バスでD寮に帰る。
着替えた上、2班揃って陸上競技場にて、 体操、ランニングなどを中心とするウォーミング・アップをした後、午後4時45分頃から各班に分かれ午後6時40分頃まで練習をする。
土曜 午前中の授業を終えた後、平日と同様に分かれて練習をする。
日曜 総合練習として、全員が紅白試合や他校との練習試合を行うなど、夕刻までほぼ一日中引き続き、昼食時にD寮に戻るほか、殆ど休憩もしないまま練習を行っていた。
午後7時
の夕食後
月に一度はミーティングが行われるほか、半数くらいの者は、監督に認められて、レギュラーに選考されることを目指し、自主的にバットの素振り、ランニング、投球練習を行っていた。
練習は毎日行われ、雨天の日も室内練習をすることが多く、練習が休みになることは非常に少なかった。

 野球部では、起床時と夕食後にZコーチが行う点呼の際に、体調の悪い者は申し出るようになっていたが、監督に認められてレギュラーに選考をされることを目指す部員は、監督やコーチの評価を気にし、あるいは、監督やコーチの態度を恐れて、風邪やその他で健康状態がすぐれないときでも、これを言い出しがたい状態であった。

 部員らの健康診断について、昭和63年4月22日に学校での健康診断が行われた。その後、S監督らが野球部の一部の者について、ベース・ランニングなどの簡単な走力測定を行ったことはあるが、部員について、トレーニングの目的および効果ないし影響を考えて、体力測定や健康診断を行った事実は無い。

 同年の6月5日には、部員1名が脱水症により、K病院にて治療を受け、8月23日には、部員1名が熱射病の疑いで、9月4日には部員3名が脱水症で救急車により同病院に搬送され、治療を受けていた。また、9月10日には、化膿性扁桃炎で練習中に倒れて病院に搬送される生徒もいた。

 事故当日の練習は、S監督は進路指導の件で出張しており、立ち会ってはいなかった。そのため、グラウンド練習およびサーキット・トレーニングの練習には、左足を骨折して松葉杖を使用していた、Zコーチの指導の元で行われた。
 
 練習内容およびHの行動
 10月26日
  Hが所属していたのは第二班で、班員は一、二年生の約22名。
この日は、サーキット・トレーニングを行う日に当たっていた。
16:30過ぎ 陸上競技場で約20分間のウォーミングアップ。
16:50頃 サーキット・トレーニングを、野球場外周の土手において行う。
前記の1.〜13.を2コース行う。
17:50頃 腕立て伏せ10回を2セット、ストレッチ運動を含む柔軟体操、
ポール・ダッシュを片道5本(2往復半)を行った後、三塁側の土手で柔軟体操をしていた。
18:10頃 Zコーチはホームベース付近でグラウンド練習の指導をしていたが、サーキット・トレーニングをしている第二班に向かって、「休んでいないで走れ」と声をかけた。
  第二班の班長のKはこれを聞いて、班員に声をかけ、先導してポール・ダッシュを4本くらい繰り返した。
Zコーチは、その際にまた「休まないで走れ」と声をかけた。
これは、ホームベース付近で守備練習を見ており、第二班の部員が全力で走っていないと思ったためのもの。
  Kはこれを聞いて、今度は、一方のポールに到着をしたら、後続を待たずに連続してポール間を走るように指示されたものと思った。そのため、先頭に立って、これまでに行ったことの無い、連続ポールダッシュを繰り返した。
後に、このときのポール・ダッシュについて、Kは「当時息が切れ、のどの渇きを感じ、非常に苦しいものであった」と述べている。
18:15〜20頃 連続ポールダッシュを2、3本行った頃
Hが右翼ポール付近で膝から崩れるようにして倒れた。
  これを見た第一班の補助をしていた三年生が、Hの傍に行った。
Hはひきつけを起こし、すぐに冷たくなるように感じたので、そのベルトを緩め、スパイクや靴下を脱がせ。腕や足をマッサージした。
Hは目は半開きで、意識は無く、脈拍も心音も感じられなくなった。
そこで、本部席にあった携帯用の酸素ボンベを持ってきて酸素吸入を試みたが効果は無かった。
  Zコーチは、Hが倒れた際、ホームベース付近で守備練習の部員を集めてミーティングをしていたが、そこに第二班の練習補助の三年生が来て、Hが倒れたことを知らせた。
そこで、「右翼ポール付近で倒れているHの周りにいる者に向かって、「そのままにしておけ」と怒鳴り、守備練習の部員らに二、三の話をした後、倒れているポールの付近の方へ歩き、途中であった生徒に救急車を呼ぶように指示した。
  Hが倒れている所に着いたZコーチは、Hの脈拍、呼吸、心拍音を調べたが、いずれも確認ができなかったため、心臓マッサージを始めた。
これは、前年の夏に救助法の講習を受けていたためのもの。
  救急車を呼ぶように指示された生徒は、グラウンド本部席にあるインターホンで寮の管理人に連絡した。
18:32頃 寮の管理人が救急車を要請した。
18:39頃 救急車がグラウンドに到着
救急隊員が酸素吸入と心臓マッサージを続けながら搬送した。
19:02頃 K病院に到着
当時のHは、心(臓)停止、呼吸停止、瞳孔は中等度散大していた。
19:31 死亡が確認
死因は急性心不全によるとの診断。
  急性心不全の原因は、事故当日の運動による脱水症が関与して、有効な血液の循環量が減少した状態が生じ、急性心不全に陥ったものとされる。
時刻 内容

 註釈
 急性心不全の原因について
 Hを診たK病院の医師は、死因を急性心臓死であると診断している。
 昭和63年10月27日にHを解剖した、T病院の医師は、体の他の部位に死に至らしむる病変が存在せず、明らかに心臓が原因となって死亡したものであり、心臓に病理形態学的異常を指摘できないので、Hの死因は急性心不全であると診断している。

 原因について
T病院の医師は、顕微鏡による組織学的な所見として以下のとおりとしている。
(1)両心室心筋の著名な収縮壊死、心筋の断裂・波打ち像
(2)右冠状動脈入口部狭小
(3)His束中央部の限局性小出血巣
(4)抗ミオグロビン免疫染色で両心室心筋の斑状染色像
(5)明らかな新旧心筋梗塞巣なし
 (1)、(3)の所見は必ずしも心筋の特異性や病的変化とする根拠は無く、(4)も冠状動脈支配領域と関連性がないこと等から病的所見とは言い難いとしている。
 (2)の所見については、右冠状動脈入口部は、正常者では直径3、4mmのところ、Hは1mmであるが、入口直後で二分岐していて、右冠状動脈の本管は3、4mmで尋常であり、冠状動脈入口部に繊維化等の器質的変化がなく、造影所見でも冠状動脈の走行異常、内腔の狭小化等は認められず、右冠状動脈灌流領域に明らかな変化を認めないことから、右冠状動脈血流量が減少していた(酸素供給に影響を及ぼすほどの血流量の減少は無い)証拠は明らかではないとしている。

 解剖所見より
Hには、心筋症、心筋炎、弁膜疾患、全身性の感染症、代謝異常等は認められないので、事故当時は、左心・右心両方に同時かつ広範に虚血に陥る状況、すなわち、有効な循環血液量の減少した状態にあったものと推測し、Hの解剖時の採血により、ヘマクリット値が高いこと(ヘマクリット値70%以上)、血清検査によって電解質の失調(ナトリウム値190、カリウム値8.1)がみられ、当時の運動状況から、急性心不全の原因として一番大きく関与したのものはおそらく脱水症であろうとし、あるいは、脱水症の関与を否定できない。
 
 出典
平成6年12月27日 水戸方裁判所土浦支部 判決 平成4年(ワ)第73号
損害賠償請求事件 一部容認、一部棄却 確定
判例時報1550号92項
判例タイムズ885号235項
 
朝日新聞 1994(平成6)年12月27日付け夕刊

朝日新聞 1994(平成6)年12月28日付け朝刊 地方版
 
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