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事故の事例
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jump!  事故発生年月日
jump!  発症者の経歴等
jump!  事故発生場所及び状況
jump!  事故当時の気象状況
jump!  事故日までの気象状況
jump!  事故に至る経過
jump!  練習内容及びAの行動
jump!  出典

高等学校のラグビー部の合宿訓練において
部員が日射病で死亡した事故
 事故発生年月日
 1970(昭和45)年7月23日
 
 発症者の経歴等
 発症者は私立K高校ラグビー部の一年生部員S(15歳、男性)。
 
 事故発生場所及び状況
 N県I市のT総合グラウンド
  
 事故当時の気象状況
   N市
日時 天気
概況
気温
湿度
風向
16方位
風速
m/s
雲量
10分比
日射
0.1h
7/23 03:00 22.5 85 00 000 07 -
09:00 快晴 27.5 61 WSW 1.5 00 1.0
12:00 - 32.1 - ESE 3.8 - 1.0
15:00 快晴 31.8 54 N 5.8 00 1.0
最高(大)     33.2 - - 6.7 - -
最低(小)     21.8 - - - - -
 
 事故日までの気象状況
  死亡した23日までの3日間、連日晴天で風もあまりなく
当日も午前中から30度を超えるような炎暑。
  N市
  7/20 7/21 7/22 7/23
天気概況
(06-18時)
- - - -
気温℃(平均) 24.8 25.7 26.8 27.0
気温℃(最高) 30.8 31.6 33.6 33.2
湿度%(平均) 74 76 66 69
湿度%(最小) 53 58 42 49
雲量(平均) 4.0 4.0 5.8 2.0
風速m/s(平均) 2.0 2.9 1.9 2.2
風速m/s(最大) 6.2 9.0 5.2 6.7
日照時数h 11.1 9.9 8.8 9.4
 
 事故に至る経過
 K高校は昭和45年7月20日から5泊6日の予定で、夏季合宿訓練を実施した。
参加者は、ラグビー部員15名、同部O.B5名。
引率教諭として、ラグビー部顧問のN教諭の1名のみ。
 N教諭は昭和43年より同部の顧問をしていたが、
自身はラグビーの経験はなかった。
同校においては、保健体育の教科を担当しており、
また体育大学においては体育学を専攻、ラグビーに関する単位も取得していた。
 練習の技術的な指導は、殆どO.Bの大学生か上級生に任されていたが
O.Bらは、そのリーダー格Tの極めて厳しい指導方針に従い
部員各自の練習実績や体力差を考慮しないで、
練習時間中は休憩らしい休憩もとらせず
疲労で一時意識を失う者があっても、「気つけ」と称する行為をして
練習を続行させるなど、厳しい練習を強要した。
 たまたま、隣のコートでラグビーの練習をしていた
ND大学のグループ(同好会)から見ても
当時の暑さを考えればすでに体力の限界を越えているように思われ
特に事故当日などは、むしろ凄惨ともいえる異様な雰囲気を
感じさせるほどのものであった。
 合宿では、連日午前午後併せて5時間を越える厳しい練習がなされ
初日からグラウンドでは故障者が続出し
宿舎に帰ってからも日を追って全体に疲れが目立つようになり
食欲がなくなったり、不調を訴える者が少なくなかった。
 Sについても、2度にわたりN教諭へ胃腸薬をもらいに行っていたこと、
事故の前日頃からかなり食欲が衰えていた。
 
 練習内容およびAの行動
09:00頃  N教諭やO.Bらは、前日までの練習振りから
部員の気持ちが弛緩しているものと考え
四面ダッシュ(練習の中で最も厳しいとされるもの)の練習をさせていた。
 突如Sがグラウンド上で倒れ、意識もうろうの状態に陥った。
O.BのTはSに「気つけ」をされたあと
グラウンド脇の休憩小屋に運ばれて寝かされた。
   N教諭はSを20分位休んだ後、Sが大丈夫と答えたので
再び練習に参加するよう促した。
 Sはこれに応じ、立ち上がった直後少しふらついたものの
とにかくグラウンドに戻った。
11:00頃  Sだけが目立って動きが鈍いという理由で
O.Bの1人からマンツーマンでヘッドダッシュの特訓を受け
次いで、フォローアップの練習に移ったところ、再び倒れた。
 起き上がることが出来ない様子なので
小屋に運ばれ寝かされた。
  そのため全体の練習が一旦打ちきられ
O.BのTが小屋の前に全員を並べて、説教を始めた。
 Sはその頃、小屋の中で寝かされていたが
N教諭から「立てるなら立ってみろ」と言われ
全員が並ばされている列に加わるように促された。
 Sは腕を地面について立ち上がろうとした瞬間、
左肩から崩れるようにして倒れ、コンクリートの角に頭を打った。
 その後、仲間に支えられるなどして、どうにか列に加わったものの
支えの手を離すとへなへなと倒れてしまう状態だった。
   N教諭は、このようなSの状態を見てただごとではないという気はしたが
単に疲労がこうじたものとしか考えなかった。
Sに対しては、水道の水で頭を冷やしてやるとか、
しばらくその場に寝かせてやるといった程度のことをしただけだった。
 また、生徒2人に付添いをさせ、肩を借りて宿舎に帰るようにさせたが
Sは2人の肩にもたれかかって炎天下の中を約900m歩いたすえ
全身痙攣をおこして意識を失った。
   N教諭は、知らせを聞いて、急いで飯山市内のR病院に運んだが
すでに手遅れの状態だった。
17:15頃 Sは日射病により死亡。
 出典
昭和51年3月25日 東京高等裁判所 判決 昭和49年(う)第2062号
業務上過失致死被告事件 破棄自判 上告
判例タイムズ335号344項
原審 昭和49年6月29日 東京地方裁判所 判決

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臨床スポーツ医学 12(1) 78-80
 
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