|
09:00頃 | N教諭やO.Bらは、前日までの練習振りから 部員の気持ちが弛緩しているものと考え 四面ダッシュ(練習の中で最も厳しいとされるもの)の練習をさせていた。 突如Sがグラウンド上で倒れ、意識もうろうの状態に陥った。 O.BのTはSに「気つけ」をされたあと グラウンド脇の休憩小屋に運ばれて寝かされた。 |
N教諭はSを20分位休んだ後、Sが大丈夫と答えたので 再び練習に参加するよう促した。 Sはこれに応じ、立ち上がった直後少しふらついたものの とにかくグラウンドに戻った。 |
|
11:00頃 | Sだけが目立って動きが鈍いという理由で O.Bの1人からマンツーマンでヘッドダッシュの特訓を受け 次いで、フォローアップの練習に移ったところ、再び倒れた。 起き上がることが出来ない様子なので 小屋に運ばれ寝かされた。 |
そのため全体の練習が一旦打ちきられ O.BのTが小屋の前に全員を並べて、説教を始めた。 Sはその頃、小屋の中で寝かされていたが N教諭から「立てるなら立ってみろ」と言われ 全員が並ばされている列に加わるように促された。 Sは腕を地面について立ち上がろうとした瞬間、 左肩から崩れるようにして倒れ、コンクリートの角に頭を打った。 その後、仲間に支えられるなどして、どうにか列に加わったものの 支えの手を離すとへなへなと倒れてしまう状態だった。 |
|
N教諭は、このようなSの状態を見てただごとではないという気はしたが 単に疲労がこうじたものとしか考えなかった。 Sに対しては、水道の水で頭を冷やしてやるとか、 しばらくその場に寝かせてやるといった程度のことをしただけだった。 また、生徒2人に付添いをさせ、肩を借りて宿舎に帰るようにさせたが Sは2人の肩にもたれかかって炎天下の中を約900m歩いたすえ 全身痙攣をおこして意識を失った。 |
|
N教諭は、知らせを聞いて、急いで飯山市内のR病院に運んだが すでに手遅れの状態だった。 |
|
17:15頃 | Sは日射病により死亡。 |
出典 |
昭和51年3月25日 東京高等裁判所 判決 昭和49年(う)第2062号 業務上過失致死被告事件 破棄自判 上告 判例タイムズ335号344項 原審 昭和49年6月29日 東京地方裁判所 判決 日置雅晴(1995) 熱中症に無理解なスポーツ指導者へ スポーツドクター側からの事故防止の警鐘 臨床スポーツ医学 12(1) 78-80 |