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事故の事例(ラグビー)
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jump!  事故発生年月日
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jump!  事故当時の気象状況
jump!  事故日までの気象状況
jump!  事故に至る経過
jump!  練習内容および亡くなった部員の行動
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jump!  出典

退部を申し出た高校ラグビー部員が特訓中
脱水と過高熱によって死亡した事故
 事故発生年月日
 1983(昭和58)年7月14日
 
 発症者の経歴等
 亡くなったのは、N県N市にある私立高校のラグヒー部に所属していた、二年生のラグビー部員(16歳、男性)。
 ラグビー部は部員数28名、この部員は、フォワード第一列の正選手
 
 事故発生場所及び状況
 同校グラウンド
  
 事故当時の気象状況
    N県N市
日時 天気
概況
気温
湿度
風向
16方位
風速
m/s
日射
0.1h
雲量
10分比
7/14 01:00   19.3   SSE 3    
02:00   18.8   S 1    
03:00 18.6 84 S 1.7   7
04:00   18.0   SSE 1 -  
05:00   17.9   SSE 2 -  
06:00 18.6   SSE 1.6 0.7 2
07:00   20.7   S 2 1.0  
08:00   22.5   SSE 2 1.0  
09:00 快晴 24.0 72 N 1.0 1.0 00+
10:00   25.6   SSE 2 1.0  
11:00   25.6   N 2 1.0  
12:00 快晴 25.6   NW 3.1 1.0 00+
13:00   25.7   NW 4 1.0  
14:00   26.0   N 4 1.0  
15:00 快晴 25.6 70 SSE 3.7 1.0 00+
平均 22.8 78   2.5   2.0
最高(大) 26.6   SSE 4.9    
最低(小) 17.8 61        

 ※ 3、6、9、12、15時、平均、最高、最低の各値は、当該地の気象台による
それ以外は、地域気象観測(アメダス)による観測

 この14日の日中は、快晴のため日射が強かったとみられ、また、湿度も高いため、蒸し暑い状況であったのではないかと推測される。
  
 事故日までの気象状況
天気概況
06-18時
天気概況
18-06時
気温

平均
気温

最高
気温

最低
湿度

平均
湿度

最小
風向
16方位
風速
m/s
平均
風速
m/s
最大
 N県N市
07/01 20.1 21.6 19.4 91 76 S 2.5 4.4
07/02 曇後雨 21.8 24.6 18.9 84 74 NE 2.4 4.8
07/03 雨後曇 曇一時雨 21.1 24.4 19.1 85 70 SE 4.0 6.9
07/04 大雨
雷を伴う
曇一時雨
一時雷
22.5 27.8 20.3 85 62 NW 2.8 7.9
07/05 曇時々雨 22.4 26.2 20.7 82 67 SE 2.7 6.9
07/06 晴一時曇 晴後曇 21.7 24.2 20.1 88 77 W 3.1 6.6
07/07 曇一時雨
一時晴
22.2 25.2 20.1 80 70 WEW 2.4 5.2
07/08 曇時々雨 21.1 22.2 19.6 90 79 N 1.7 4.1
07/09 曇一時雨 20.8 24.0 19.1 83 67 WSW 3.0 6.2
07/10 晴時々曇 20.9 23.2 17.7 78 67 N 2.8 5.6
07/11 22.1 25.5 18.4 73 58 N 3.2 8.3
07/12 快晴 21.7 25.2 17.2 57 48 N 3.7 7.1
07/13 21.7 26.5 17.1 68 50 W 3.6 7.4
07/14 快晴 晴後曇 22.8 26.6 17.8 78 61 NNE 2.5 4.9

 1〜10日の上旬は、梅雨前線が本州の南海上に停滞したため、ぐづついた天候が続いていたが、11日以降は、北の千島方面から張り出した高気圧が広く日本列島を覆ったため、晴れの日が続いていた。
 15日には、黄海にあった低気圧が日本海から千島方面へと抜けている。そのため、この14日の夜くらいから、梅雨前線の影響が見え始めている。
 
 事故に至る経過
 この学校は、7月8日から13日まで、学期末試験で、この事故があった14日から試験休みになっていた。
 亡くなった部員は、5月頃から練習を休みがちで、2、3日前に両親と相談をし、退部することを決めていた。
 
 練習内容および亡くなった部員の行動
 7月14日
学校は試験休みに入っていたが、亡くなった部員は、顧問の教諭に退部を申し出るために、登校した。
09:30頃 この教諭と、約20分ほど、話し合った後、運動着に着替えてグラウンドに出た。
この間、ラグビー部は9時30分より、部員数十名が練習中だった。
10:00過ぎ 顧問教諭との、一対一(マンツーマン)の特訓が始められた。。
ラグビー部では退部者に対し、最後の特訓を行なうことが通例となっていたらしい。
  特訓は、顧問教諭が投げたり蹴ったりしたボールを、全力で走り拾ってくる、ルーズボール練習。
11:15頃 1時間程して、膝をつくようにして倒れた。顧問教諭は「疲れた振りをしている」と思いこみ、バケツの水をかけるなどをして、さらに引き起こして練習を続けさせた。
この部員は二度三度ボールを追った後、ボールとは反対方向に走るようにして倒れ動けなくなった。
  このため、顧問教諭は、水を飲ませようとしたが、この部員は吐き出し、顔色も悪くなったので、養護教諭とともに、保健室に運んだが、このときには、意識が無くなっていた。
救急車を呼びだし、N市市民病院へ運ばれたが、意識は戻らず、血圧は低く、呼吸もあえぐような状態。
18:15 死亡
死因は、脱水症と過高熱によるショックで、心不全を起こしたとされる(外傷は無い)。

後の刑事裁判での医師による鑑定で、「限界を越えた過重な運動が引き金となって起きたストレス性悪性高熱症」との結果がでている。

 註釈
 この当時においては、悪性高熱症との診断がなされていますが、現在では、体温が42℃にも上昇していたことや、脱水を起こしていたこと、過激な運動などのことを踏まえると、熱中症との診断がなされるのではないかと考えられます。
 
 出典
新潟日報 1983年07月16日付
新潟日報 1983年10月01日付
朝日新聞新潟版 1983年11月23日付
新潟日報 1985年01月10日付
 
lone nami