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私立高校一年生のサッカー部員が 夏季合宿で急性腎不全となり死亡した事故 |
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事故発生年月日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1984(昭和59)年8月27日 |
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発症者の経歴等 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
私立高校の一年生M(16歳、男)。 小学校六年から中学一年のときまでサッカー部に所属していた。 昭和59年4月、K高校に入学後、19日にK高校サッカー部に入部した。健康体であったが、動作に緩慢さが見られ、運動能力、基礎体力が標準より劣っていた。性格については、努力家であり、疲れても自分からは休憩を積極的にはとろうとしない。練習中に疲れても表情が変わらない。人前では過度に緊張し、自己主張が出来ず、特に先輩に対してはしどろもどろになる。 一学期のサッカー部の練習時間は、15時30分から17時30分までの2時間程度。7月23日から一ヶ月間の夏休みとなっており、その間、8月中旬(合宿の一週間程前)に3日間程度、一日2時間程度の練習を行なったのみ。 |
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事故発生場所及び状況 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
K高校 |
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事故当時の気象状況 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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事故日までの気象状況 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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事故に至る経過 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発症者Mは、昭和59年8月26日から31日まで行なわれる、K高校での合宿に参加。 合宿には、顧問のH教諭とT教諭の2名とコーチSの付添・指導のもとに実施された。なお、T教諭はサッカーの経験がなく、H教諭は中学一年から二年の夏までサッカー部に在籍した経験がある。Sコーチは、高校のサッカー部を卒業後大学に在籍している大学生で、同年6月よりコーチとして実技指導を束ねていた。 Sコーチは、この合宿の目的を全国高校サッカー選手権都道府県予選ベスト8に残ることとおいていた。(当時のK高校サッカー部の実力は予選の一回戦を勝てるかどうかのもの) |
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練習計画内容 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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練習内容およびMの行動 |
8月26日 | |
11:00 | 合宿開始 |
11:30 | 発症者M参加 |
参加者全員が集合した時点で 合宿中の一般的な健康管理の指導 |
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午後より練習開始 インサイド・パス パス&ランニング 四種目の練習をし、ボールを蹴りながら グランド半面を3周する ミニ・ゲーム(グランド半面で20分ずつを3回) グランド半面をリレー形式で走るなどの練習 |
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夕食 | |
20:15 -22:00 |
ミーティング |
23:00 | 消灯、Mはミーティングが終わると逸早く就寝した |
8月27日 | |
06:30 -06:40 |
グランド半面を10周するジョギング リフティング |
07:10 | 朝食 |
09:30 -12:00 |
インサイド・パスを50本 ロング・パス5往復 ポスト・シュート ジクザグ・パス 3箇所センタリング・シュート ドリブル・シュートなどの練習 |
Mは、ロング・パス練習中に前方に走らなくてはならないの、後方に戻ってしまうなどの行動し、疲労を顕著に顕していた。 そして、用便中、放尿をしていたとき、突然の意識を喪失し、もがき苦しみながら無意識に草をむしりとって口に入れたり、理由なく、コンクリート壁に頭を打ち付けたり、意味なく失笑したり等の異常行動を行なった。 そのため、サッカー部キャプテンに意識喪失と異常行動の話をした上、Sコーチに休憩する旨の伝言を頼んだ。その後、体育館横からグランドへ降りる階段のところで、休憩をとった。 二年生の1名が、便秘を訴え、また疲労が見えたので、顧問教諭が見学を命じた。 |
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昼食 | |
H教諭はMらと一に食事をしたが、健康状態を尋ねるようなことは無かった。 | |
14:30頃 | 軽いランニングと体操 インサイド・パス ロング・パス ポスト+バック等の練習 |
Mは午後の練習には参加しなかった (教室で寝ていたり、見学していたりした) |
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16:00頃 | 雷雨となったので体育館および校舎内の廊下で30mダッシュ ウェイト・トレーニングなどの練習 |
Mは、雨が上がった後のグランド整備には参加したが 他の部員と比べて幾分苦しそうな様子だった T教諭から体調を尋ねられ、Mは「大丈夫です」と答えている。 |
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入浴後、ミーティングが1時間ないし1時間半行なわれた | |
顧問教諭はMに、体調等を尋ねることは無かった。 | |
8月28日 | |
Mは早朝練習、練習試合前のウォーム・アップ練習には参加したが途中から休憩した。 | |
T高校、M高校との練習試合 Mは見学。 |
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試合後の1時間半ほどの練習にMは参加 | |
その際、転がってくるボールにはいつくばるように、ヘディングをしたりした後、グランド中央に座り込んでしまう。 Sコーチに「大丈夫か。少し休んでおけ。」言われ、介添えを得て階段ところで休憩した キャプテンは、Mが27日に意識喪失、異常行動をとったこと、かなり疲労していたことを、Sコーチに報告したが、Mをそのまま練習に参加させた。 |
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この日からMの尿回数は一日当たり3回に減り、軽いアンモニア臭の発散等の症状が現れ、他の生徒の中にもMの異常な容態に気づく者がおり、話題になっていた。 | |
8月29日 | |
Mは27日におこした靴擦れがひどく、終日靴の踵を踏んでいた。 Sコーチは「足が動かなかったら、止めて休んでおけ。」と命じたのでMは見学した。H教諭は、朝に疲労を訴えて、教室で寝ていた一年生と、足の爪を怪我した二年生を、自家用車に乗せて病院に搬送した。 |
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8月30日 | |
Mは早朝練習に参加 | |
H教諭は朝食の際、食堂に向うMがふらついて、まっすぐに歩けない状態であることに気付いた。 Mの額に手を当てて熱を測ったところ、かなりの発熱を感じた。 |
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H教諭は、その際に、Mから27日の意識喪失と、異常行動のことを聞いた。 | |
09:30頃 | 朝食後、H教諭はMを保健室のベットで休ませていた。 出勤してきた養護教諭と相談の上、救急車を呼んでW病院に搬送した。 |
09:55 | W病院に到着 |
脳神経外科医のW1は、問診による意識レベルの検査、瞳孔、三叉神経、腱反射等の神経学検査、頭部エックス線検査をした。結果、器質的障害などの異常は認められず、頭部外傷(打撲)と意識喪失および発熱は関係ないと判断した。 | |
内科医W2は、Mの発熱の原因を、風邪及び脱水ではないかと思い、肺と心臓の聴診、眼球結膜の視診、腹部及び 骨の触診及び腱反射の検査、血液検査をした。 Mに、日射病による軽い脱水症状、疲労及び急性上気道炎との診断。 ビタミン・抗生物質の点滴を2時間かけて行なった後、3日後に外来で来るように顧問教諭に言い、3日分の急性上気道炎の内科薬を処方した。 この際、Mを入院はさせなかった。 |
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15:00過ぎ | H教諭はタクシーでMを学校に連れて帰り、クーラーを入れた保健室で休ませた。 |
17:00過ぎ頃 | H教諭はMの母親に、Mの合宿中での経緯を話し、迎えに来てもらいたい旨の連絡を入れた。 |
18:30頃 | Mの母親が学校に到着。 Mに会うと、唇が粉を吹いたように真っ白だった。 教諭に挨拶の後、自家用車で急遽帰宅した。 |
帰宅後、Mには嘔気があり、食欲は無く、体温は38.3℃。 その夜に排尿をしたが、黒褐色色だった。 |
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8月31日〜9月9日 | |
Mの母親が別の病院で診察を受けさせたところ、即日入院となり、検査の結果、急性乏尿性腎不全と診断。 血液透析を数回にわたって受けた。 |
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9月9日 | |
19:13 | 脳浮腫(脳ヘルニア)による呼吸抑制および心不全の増強を直接の死因として死亡した。 |
時刻 (練習時間) |
内容 |
Mの状態、教諭の対応など |
出典 |
平成6年6月29日 大阪高等裁判所 判決 平成4年(ネ)第1591号 損害賠償請求控訴、同付帯控訴事件 取消・請求棄却、付帯控訴棄却 上告 判例時報1517号62項 原審 平成4年6月26日 京都地方裁判所 判決 昭和61年(ワ)第591号 損害賠償請求事件 認容 控訴 判例時報1463号127項 |