ホームへ
line
事故の事例
index

jump!  事故発生年月日
jump!  発症者の経歴等
jump!  事故発生場所及び状況
jump!  事故当時の気象状況
jump!  事故日までの気象状況
jump!  事故に至る経過
jump!  練習内容及びAの行動
jump!  出典

陸上自衛隊のレンジャー訓練中
全行程約3kmの持久走訓練において
隊員が日射病で死亡した事故
 事故発生年月
 1967(昭和42)年9月30日
 
 発症者の経歴等
 発症者は、陸上自衛隊所属の自衛官A(19歳9ヶ月、男性)。
また、小隊の演習の無いときはタイピストとしての職務を行なっていた。
 
 事故発生場所及び状況
 O県B駐屯地の周辺での、レンジャー集合訓練の体育科目
体力調整運動としての持久走中。
服装は、作業服上下(綿のもの)、作業帽、半長靴、弾帯を着用していた。
 持久走が行なわれたコースは、全長約3km
B湾を見下ろす高台の住宅地を巡る起伏のあるアスファルトで舗装された道路
起伏は、出発点から勾配、やや下り坂、平坦、勾配となっている
 
 事故当時の気象状況
   O市 B駐屯地
日時 天気
概況
気温
湿度
風向
16方位
風速
m/s
雲量
10分比
日射
0.1h
気温
湿度
09/30 03:00 22.8 83 E 1.5 10 - - -
06:00 23.0 78 NE 4.2 10 - - -
09:00 24.3 75 N 2.8 08 0.2 - -
12:00 27.7 60 ENE 2.8 04 1.0 28 78
15:00 24.4 73 SSE 1.5 10 - - -
 
 事故日までの気象状況
O県O市 O県B市
天気概況
06-18時
気温

平均
気温

最高
湿度

平均
風向
16方位
風速
m/s
平均
風速
m/s
最大
天気概況 気温

9時
気温

最高
気温

最低
9/13 22.4 25.4 63 NW 5.8 8.3        
9/14 23.8 28.9 55 NW 5.0 8.2        
9/15 22.9 28.5 57 NW 3.7 10.0        
9/16 22.5 28.2 62 WW 4.9 8.0        
9/17 20.9 27.1 68 ENE 2.4 4.7        
9/18 21.6 28.1 66 NW 2.9 8.3        
9/19 20.9 25.7 63 NE 2.3 5.8        
9/20 曇時々雨 20.8 25.8 75 NNE 2.1 5.2        
9/21 21.8 27.0 67 NW 2.8 6.7        
9/22 22.4 28.1 59 NW 3.8 6.7        
9/23 20.9 27.7 63 NW 2.6 4.8        
9/24 19.7 26.6 65 NNW 2.7 5.3 23.3 27.0 16.1
9/25 20.1 26.6 65 NW 2.7 6.0 24.0 26.0 16.0
9/26 18.6 25.7 65 NE 2.2 4.7 24.0 26.5 15.5
9/27 19.4 25.7 73 NNE 2.5 5.5 快晴 23.0 24.9 15.4
9/28 20.8 26.6 72 NNE 2.1 6.2 24.2 26.9 19.1
9/29 21.6 26.6 75 NE 2.0 4.7 23.3 27.1 18.2
9/30 曇一時雨 23.7 28.3 78 NE 2.3 5.8 25.1 28.0 22.7
  
 事故に至る経過
 Aは昭和42年9月25日から12月4日までの予定で
O県B市に所在の陸上自衛隊B駐屯地及びその周辺において実施した
レンジャー集合訓練に、他18名の隊員とともに参加。
 レンジャー集合訓練は、隊員に対して困難な状況克服して行なう
潜行、伏撃、襲撃等の緒行動に関する能力および精神力を付与する目的で
教育準備期間を9月13日から24日
教育実施期間を9月25日から12月4日
整備期間を12月5日から9日とする予定で実施されたもの。
 訓練を指導する教官としてS教官が、教官を補佐する助教として
N助教、K助教、ほか4名(22日からは更に3名)が参加し
被教育者としては、B駐屯地の部隊隊員中から希望者を募り
その中から訓練に耐え得る体力を有し、且つ健康状態の良好な者が選抜された
 Aは、訓練に参加したい旨を営内班長とN助教に相談したところ
班長(レンジャー資格不所持)は訓練に耐え得ると判断したが、
N助教(レンジャー訓練の助教)は、自らの経験よりAは訓練には向かないし、
仮に参加しても最後までついて行けないのではないかと考え
その旨を忠告したが、最終的に、中隊長がAの訓練参加を許可した。
 その後、行なわれたレンジャー要員資格検査としての体力測定、身体検査、
水泳能力検査において、いずれも十分訓練に耐え得るとの結果が出た。
 訓練期間中、教官、助教らは、隊員の健康管理として、
各隊員に体重、喫煙状況、睡眠状況を居室に張らせてあるグラフに
毎日書き込ませ、そのグラフを助教らが確認し、
夜、食事終了後の各隊員の居室に行き、隊員の健康状態を観察するなどをし、
更には、毎朝の点検の際には身体の具合の悪い者がいないか申告させていた。
 
 練習内容およびAの行動
時刻 内容
9/13
-24
  教育準備期間
教官、助教のみによる教育に必要な資材の調達、教育要項の検討などが公式の日程であったが、期間中も被教育者らは自主トレーニングとして、1日2時間から4時間ほど柔軟体操、駆け足、バレーボール等の、体力調整運動を助教1名の立会いの下で行なっていた。
Aは他の隊員と比較して特に疲労しているとの状態でなく、むしろ非常に元気で積極的に訓練を行っていたように見うけられた
9/25 08:00
-12:00
教育実施期間(期間中は8時から17時まで訓練が行なわれる)
レンジャー要員資格検査としての体力測定
9/26 08:00
-12:00
レンジャー要員資格検査としての水泳能力検査
9/27 15:00
-16:00
体力調整運動
駐屯地内約1kmの持久走
9/28 15:00
-16:00
体力調整運動(腕立て伏せ、懸垂、うさぎ跳び等)
駐屯地周辺のコースを使って約2kmの持久走
Aは運動の回数及び速度が他の隊員より遅れるようになり、持久走では他の隊員より遅れて、後方を顔色も悪く苦しそうに走り、かなり疲労していることが伺われた。
9/29 15:00
-16:00
銃剣を使用しての格闘訓練(長突、直突、斬撃等の型の訓練)
N助教は、Aの動静に注意を払ってきたが、これまでの経過を見て、Aの処置につき教官、助教のミーティングにおいて相談した。
訓練は始まったばかりであるが、Aに疲れが見えるので、1日休ませて、医師の診断を受けさせようとの結論。
N助教は、この結論をAに伝え、30日の訓練を休み、医師の診断を受けるように指導したが、Aは、訓練の中途で挫折することを嫌い、是非とも訓練を継続したい意向を示した。
N助教らは、取り敢えず30日の訓練に参加させ、その結果を目安として爾後の処置を考えることとした。
  25日から29日の期間中、記載以外の時間は講義中心の日程となっていた。
被教育者の疲労状態としては、時間的にさほど訓練が厳しくなされたということはできず、多くはあまり疲労していなかったが、中には疲労している者をあった
9/30   本日は正午までに全日程を終了する予定
N助教が訓練の指揮を教官に代わってとっていた。
体育科目が3時間にとなった初日。
以下の各訓練の間には特に休憩の時間は設けられておらず、各訓練は引き続いて行なわれたが、運動の合間に適宜休憩がとれなかったわけではない。
09:00
-10:00
銃剣格闘訓練
10:00
-11:00
体力調整運動(腕立て伏せ、胴回し、懸垂、丸太上げ)
各種目を2度目に行なう頃になると、各隊員とも疲労し始めた。
特にAは懸垂するための鉄棒からずり落ち、まともにぶら下がることさえできない状態であってかなり疲労していた
11:00- 駐屯地周辺のコースを使って約3kmの持久走
N助教は開始前、全隊員に対して、勝手に列外に出ない、苦しくなったら助教の指示を受けて遅れても良い、狙いは完走することであって一緒に走ることではない
などの緒注意を与えた。
また、被服については走行中の状況に応じて、作業服上着の前ファスナーを下げさせるなどの指示を、適宜、助教らは与えていた。
持久走は2列縦隊で行なわれ、先頭にAとそのバディーを配して、その速度を基準とすることとした(精神的にゆとりを持たせるため)。
縦隊の最前部と最後部に助教を配し、他の助教は隊員の顔の見える位置にあって伴走した。
出発点から1.8kmほどは、呼吸調整のため歩かせて、野口原付近から走行が開始された。
Aは、2km弱を走破した地点、最後のゆるい勾配を100m過ぎた頃から前進速度が落ち苦しそうになったため、Aの後方脇を走っていたN助教は列外に出して走るのを止めさせようとしたが、Aは落伍するのを嫌って、N助教の手を振り払ってなおも走りつづけようとし、更に約80mほど走行したところで、ふらふらとなり意識を失って倒れそうになった。
N助教は他の2名の助教に命じて、Aを両脇から腕をとって支えて列外に出させ、道路際の木陰に収容した。
N助教は救急車の手配をするため、他の隊員とともに走り去った。
助教らは、直ちに、Aの作業服を脱がせ、胸を開いて風通しを良くし、弾帯をゆるめ作業帽で仰いで風を送るなどし安静にして様子を見た。
Aは顔面蒼白で、脈拍は早く、意識は無かった。
15分ほど様子を見たがAの意識が回復せず、要態も改善されないため、通りかかったタクシーを止め、Aを横にしたまま後部座席に寝かせ、そこから約1kmの距離にあった、駐屯地医務室に運び込んだ。
10/20 09:10頃 日射病による急性心臓衰弱のため死亡
 出典
昭和56年10月8日 東京高等裁判所 判決 昭和54年(ネ)第1642号
損害賠償請求控訴事件 控訴棄却 確定
判例時報1027号41項
原審 昭和54年6月28日 東京地方裁判所 判決 昭和51年(ワ)第3333号
 
lone nami